【018_仕事】私の職務経歴書③【震災、そして一人暮らし編】
再び、以下の続きです。
直接的には、リーマンショックの影響で
契約満了となり、再び無職となった私でしたが
社長の懇意で2010年末まで雇って頂いたお陰で
世間でのリーマンショックの影響は大分落ち着いていました。
そのお陰で、再び受給していた失業手当が貰えてる間に
新しい転職先が決まりました。
しかし。
2011年1月には、ハローワークと転職サイトを併用して
新しい仕事を探していた私は、
転職エージェントさんの勧めで、ある求人のある会社へ応募しました。
2月には書類選考通過の連絡があり、3月初旬に面接を行いました。
面接の結果を心待ちにしていた私。
忘れもしない・・・
2011年3月11日の14:20。
転職エージェントさんから連絡が来ました。
「ペロアレンさん!ある会社さんから内定を頂きました!」
失業手当の受給が3月で終わってしまう予定で
若干焦っていた私は、この連絡で心底ホッとしました。
そして、入社手続きや、所属する部署の話など、
ある会社から頂いていた情報を共有して頂き、
今後のスケジュールを調整していた、その時。
エージェント「あれ?地震ですかね?私、六本木にいるんですけど、少し揺れてますね」
ペロアレン「そうですか?こっち(横浜)は特に平和で--」
この会話の直後
ペロアレン「あ、ちょっと揺れましたかね。東京の方からでしょうか?」
ここまで話した所で、受話器越しに悲鳴と共に大きな音が。
エージェント「す、すみません!一旦切ります。また掛けなおします!」
と言われ、切断。
ここから10秒後でした。
一気に部屋が揺れだし、私は飼い猫を抱き、母の手を引いて外に飛び出しました。
そこから数分間、アスファルトの上で酷く長い横揺れを感じながら、時が過ぎるのを待ちました。
近所の方々も一斉に家から飛び出してきて、一緒に居ました。
落ち着いてから、エージェントさんへ連絡するも不通
帰宅したら停電となっており、そこから暫く、転職どころではなくなってしまいました。
※震災時、色々なドラマもあったのですが、
ここでは職務経歴を書く事が目的なので
細かい所は後日改めて書こうと思います。
エージェントさんから連絡がきたのは、そこから二週間後でした。
ある会社は、未曽有の震災の後でしたが、
「一度内定出したからには、雇いますよ!」
と、そのまま採用して頂きました。
そして、1か月間の社内研修を受け
ある大手通信キャリアへの常駐が決まります。
そこでは、日勤で半年~1年程経験を積み
その後、夜勤の輪番勤務となるプロジェクトでした。
私は9か月程日勤のみで働き、その後輪番勤務となりました。
この頃、家庭の方で色々あり、再び一人暮らしをする事になりました。
横浜から、千葉県浦安市へ引っ越し。
理由は、以下になります。
・震災影響で浦安の賃貸が安い
・職場までドアtoドアで30分で行ける
・実家まで1時間程で行ける
・弟も一人暮らしを始め、お互い近い所に住みたい
そこから2年間、輪番での夜勤を経験しました。
ここでも、長い付き合いになる方に出逢いました。
そして、2013年8月
夜勤が辛いな・・・と感じ始めてた私は、
弟から、夜勤なしで、私の経験にマッチしている良い仕事があるよ。
と、現職の紹介を受けます。
ただ、この時点では転職は考えてませんでした。
しかし、9月に入った時に、38.8℃の高熱を出してしまった日
上司「ペロアレン君。君は既にサブリーダーでしょ。高熱位で休まれたら困るんだけど。」
と言われ、高熱の中、夜勤(17時間出社)に出る事に。
これがキッカケで、弟からの紹介を受ける形になります。
※更に実はこの時、社内の噂で大きな人事異動が
起きるかもしれない。という情報があった為、
どちらにせよ、転職活動はした方が良いと考えてました。
取り合えず受けてみようと、気楽な気持ちで
現職の面接を受けた結果、内定を頂きました。
それで、2014年3月。ある会社を退職し、現職へ入社となりました。
またまた続きます。
次が最後の予定です。。